境外社
草津八幡宮境外社草津町内の神社

草津町内の神社

鷺森神社


(通称 べんてんさん)
住所 西区草津東3丁目1-8

御祭神
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

【相殿神】
金毘羅神(こんぴらのかみ)

由緒
 草津八幡宮に次ぐ古社と言われ、天徳4年(960)の創祀と伝えられている。また、社家古文書によれば、元和年中(1616-24)市杵島姫命を勧請したといい、正徳4年(1714)社殿再建という記述がある。もとは弁天社と称したが、明治以降現社名となる。山陽本線敷設により、境内狭隘となり、社殿も南向きより西向きとなる。《伝承》 往古この社は海辺にあり、漁船、旅船の寄港多く賑わっていたという。明治まで祭の前夜、里人達が炬火を持って「おおぼか、ちゅうぼか」と叫びながら付近を徘徊する火祭りの行事があったと言われ、それは大漁か、不漁かと舟々に尋ね呼び合った遺事と伝えられている。



 

稲生神社


(通称 ほんまちのいなりさん)
住所 西区草津本町14-12

御祭神
倉稲魂神(うがのみたまのかみ)

由緒
 建徳元年(1370)草津村に火災が多発して村民大いに困苦し、その秋小祠を建立し稲生神を勧請したところ火災はなく無くなったと伝えられる。現在に至るまで火難除けの神として信仰が篤い。また、この辺りはもとは海辺であって石州浜田の御船着場となり、その鎮守でもあったと言う。一説によれば、もと草津城内にあった鎮守社を遷したものと言う。また、大正の頃までは、花柳界の信仰も篤かったと言う。



住吉神社


(通称 すみよっさん)
住所 西区草津南1丁目7-23

御祭神
綿津見神(わたつみのかみ)
三筒男命(みはしらのつつのおのみこと)
  表筒男命(うわつつのおのみこと)
  中筒男命(なかつつのおのみこと)
  底筒男命(そこつつのおのみこと)

由緒
 毛利家の御船大将、児玉周防守が草津城主であった時、城の鎮守として創建されたと伝える。その後、山麓に遷され、文化6年(1809)5月26日に社殿再建、さらに文政5年(1822)に至り、新たに築造された草津港の堤防上に遷され、港湾と海上守護の神として崇敬された。現在は干拓が進み社地からは海は遠のいたが、往時はしばしば津波や台風で社殿が流失したと伝える。



胡子神社


(通称 はまのえべっさん)
住所 西区草津浜町7-17

御祭神
事代主神(ことしろぬしのかみ)

由緒
 古老の口碑によると永正2年(1505)の春頃、草津村の漁師中申し合せの上、漁業繁栄を祈り出雲国の美保神社より御分霊を勧請したと伝える。現在町内に漁師は居なくなり、草津浜町の崇敬社となっている。《風習》 往古よりこの神社一本釣漁師の崇敬篤く、明け方に出漁する際に神殿の御扉を開け、夕方寄港すると閉めるという風習があった。



龍宮神社


(通称 りゅうぐうさん)
住所 西区草津東町1丁目15-7

御祭神
三少童命(みはしらのわたつみのみこと)
  表津少童命(うわつわたつみのもこと)
  中津少童命(なかつわたつみのもこと)
  底津少童命(そこつわたつみのもこと)

三筒男命(みはしらのつつのおのみこと)
  表筒男命(うわつつのおのみこと)
  中筒男命(なかつつのおのみこと)
  底筒男命(そこつつのおのみこと)

由緒
 社伝によると正応年間(1288-93)頃、甚だしく不漁となり、漁師等が志賀海神社(福岡市鎮座)より勧請し、小祠を創建して祭祀したところ、豊漁となったという。その後、海辺の埋め立てにつれて社地を沖へ遷し、明治初年以降は現在地に奉斎する。昭和17年の大水害の際には社殿が流出したが、本殿は海辺に流れ着き、翌年拝殿とともに復興された。《特殊神事》潟祭り 旧暦3月12日春祭りの朝方に、船に祭壇を設け、竹、注連縄を張り、笛、太鼓の楽を奏しながら近くの港より干潟となる海上に乗り出す。船上で祭典を行いながら、海に供物と共に牡蠣、小貝、海苔等を撒く。途中三箇所に守護符を挟んだ竹竿を立てて潟地を一巡する。別称、種祭りという。《伝承》 境内の藤の枝を折ると腹痛を起こすと伝える。また、雨上がり等の日に朧げに龍体の見えることがあると伝えられ、70年程以前には、しばしば目撃されたという。社殿右の石製手水鉢は龍眼を表しているという。