境外社
草津八幡宮境外社境外摂末社の御案内

境外摂末社の御案内

各地域の氏神様

古江 新宮神社


(古江・古田台の氏神様)
住所 西区古江東町4-1

御祭神
伊邪那美命(いざなみのみこと)
事解男命(ことさかのおのみこと)

【相殿神】
品陀和気命(ほんだわけのみこと)
大日孁命(おおひるめのみこと)
須佐之男命(すさのおのみこと)

由緒
現在地の小丘は往古は海に突き出た岬であったと言う。神功皇后が朝鮮出兵の帰途、この岬の突端にあった岩洞に暫く仲哀天皇の御遺骸を安置され、黄泉の邪気を退けるため、ここに小祠を建立し、事解男命をお祀りされたのが当神社の創祀と言い伝えられている。延文年間(1356-61)この岬が取り崩されるに及び、現在地に遷して社殿を建立する。明治初頭、伊邪那美命を奉斎、明治40年村内にあった八幡社、大日社を合祀する。昭和50年境内地を整備拡張し、社殿は西向きより南向きに改めた。平成2年2月、不審火により本殿・拝殿を焼失、平成3年10月、本殿・拝殿再建。



庚午神社


(庚午の氏神様)
住所 西区庚午中1丁目5-1

御祭神
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)
大国魂神(おおくにたまのかみ)
八幡大神(はちまんのおおかみ)
大年神(おおとしのかみ)
埴山姫神(はにやまひめのかみ)

由緒
当社は明応2年(1493)現在の社地の北方の古江村山麓に創建された。明治3年12月9日、庚午新開築造中の堤防上に遷座し、以来、新開鎮守の神として崇敬された。当時は地神社と称したが、明治31年12月に至り現在地に遷座、拝殿を建立して豊野神社と改称、そして大正10年社殿改築、昭和46年に庚午新開百年を記念して鉄筋コンクリート造に建替え、庚午神社と改称した。



高須 大歳神社


(高須・高須台【一部を除く】の氏神様)
住所 西区高須3丁目4-22

御祭神
大歳神(おおとしのかみ)
倉稲魂神(うがのみたまのかみ)

【相殿神】
大己貴神(おおなむちのかみ)
奥津彦神(おきつひこのかみ)
奥津姫神(おきつひめのかみ)

由緒
古老の申し伝えとして延文年間(1356-61)里人達が五穀豊穣を願い勧請したと言う。



山田 新宮神社


(山田の氏神様)
住所 西区山田町140

御祭神
速玉男之命(はやたまおのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)

【相殿神】
事解男之命(ことさかのおのみこと)
事代主之命(ことしろぬしのみこと)
大己貴之命(おおなむちのみこと)
須佐男之命(すさのおのみこと)
倭建之命(やまとたけるのみこと)

由緒
寛政年間(1460-6)頃、この地に家屋2軒あり、土器又兵衛、下の部屋市良兵衛といった。当社は、両家が鎮守として上ノ土居という処に小祠を建立したのが創祀と伝える。中世、隣接する石内村に児玉内蔵の居城、狐ヶ城があったが、両家はこの城の用水池の番人も兼ねていたという。大内、武田合戦により城主は絶え廃城となり、両家は大池の脇にあった城の裏御門跡に小祠を移転、合わせて城主等の供養のために虚空蔵菩薩堂を建立した。天正年間(1573-92)頃、家屋も8軒に増え、大池も埋められた。明治の神仏分離の際、仏堂はそのまま門山に置かれ、小祠は同村字免田に遷されて村民守護の産土神として篤く信仰されて来た。


井口 大歳神社


(井口・井口台の氏神様)
住所 西区井口2丁目23-25

御祭神
大歳神(おおとしのかみ)
須佐之男命(すさのおのみこと)
少名彦命(すくなひこのみこと)

【相殿神】
事代主神(ことしろぬしのかみ)
大山祇神(おおやまづみのかみ)
岩長姫命(いわながひめのみこと)
宇麻志葦茅比古遅神(うましあしかびひこぢのみこと)

由緒
神武天皇が井口に立ち寄られた際に船を繋いだ場所を社地として万寿元年(1024)創建したと伝えられる。貞享2年(1685)再建の棟礼が残る。活疱明神とも称し、疱瘡の守護神として篤く信仰されていた。境内にはこの地方の自然植生がよく残っている。大正2年龍の口の胡子神社、小己斐山の小己斐神社、胡面の岩神社を合わせ祀る。